ここ最近、自分と向き合う場面が多い。
得体の知れないもやもやみたいなものが日に日に大きくなって、その先へ行くためにずっとヒントを探している様な感じ。
なんとなく口に入れたいものの好みも変わってきている気がしてて、その中でも特に最近助けられているのがゆで卵とホットミルク。
ずっとひたすらコーヒーを飲んでいた私だけど、最近はなんとなくホットミルクを飲みたくなることが多い。
なんとなく落ち着く気がするんだ。
食欲がない日があっても、なんとなくゆで卵だけは美味しく食べれる気がするから、そんな時は茹でておいた卵を美味しくいただく。
そもそも、私がこんな風になる時は大体客観性が欠ける傾向がある。
視野が狭くなっていて、一つ一つを大きく捉えてしまうんだ。
そんなこんな昨日はブログを更新できなくて、よし!今からでもやるんだ!とやっと心決まってくれた自分。
いざ動き出そうとパソコンを開いたらネット障害で自分のブログの更新はおろかアクセスも出来なくなってるじゃないか(;;)
「復旧したらまとめて投稿するからいいさ・・」と思いつつも、アクセス障害でカテゴリ丸ごとぶっ飛んだとか2週間分の投稿全部消えたとか書いてるの見たらちょっと背筋凍る。
実際うちも停電断水した時はパソコンもスマホもただの板だったしなぁ。
・・と、そうやって悶々としていても何も進まないながらに、最近やっと見えてきたものがあって、
それは、
- (つまらない)日常は自分次第で楽しくできること。
- そして、その日々が人生を作っていくこと。
- 笑顔でいると辛いことも乗り越えられること。
この3つが、自分にとって永遠のテーマな気がしてきたのだ。
そしてこの3つは、ペットボトルのリサイクルマーク並みの循環性を持っている気がする。
人前ではそこそこ笑顔で、行き交う人々の親切心にありがたく恵まれている私だけど、さすがに家に1人でいる時もずっとにたにたしてる訳ではないのだ。
なんなら「もぉぉいやらぁぁ〜〜」ってベランダのベンチで変死体の様に転がっている時もある。
迷って悩んで苦しんで、「なんだよこのやろうっ」って過ぎる日だって沢山あるんだ。
怒りや悲しみは、自分の感情に支配されている状態だけど、「笑う」だけは自分の意思で作り出すことが出来るそうで、確かに!と聞いた瞬間納得した。
そして、表情は感情を支配するから、怒ってばかりいる人は次々と嫌なことが起きるし、辛いことがあっても笑顔を維持できる人は、その笑顔のおかげで辛いことを乗り越えることが出来るという。
辛くて辛くてしょうがない時は、泣きながら笑ってみればいいのかも知れない(笑)
数年ぐらい前にたまたま不運が続いた時期があって、まじで苦しくて人間不信にもなって塞ぎ込んでたりもして。
今思うと、辛いにフォーカスしてたから表情も辛いになって、周りに辛い空気を伝染させて新しい辛いを産んでた気がする。
このままじゃいけないと思って一つ一つをゆっくり変えていって。あえて人前に出てみたり、忘れかけてた笑顔をもう一度出す様に意識して。
その繰り返しが今の自分を作っているんだ。
少なくとも、今まで生きてきた中で今の自分が一番いい状態なことは間違いないと思う(こんなでも)
それは自分と接する人々の反応を見てると一番よくわかる。
会話の中で相手が楽しそうな雰囲気を持ってくれると、なんだかこっちも嬉しくなる。
そう思うことができる自分を作ってくれたのは、今までの自分の積み重ねで、失敗だったり苦しみだったり哀しみだったり、その全てのおかげなんだ。
そこまでくると、たまたま続きに続いた不運たちすら自分で蒔いた種だった的な境地に達してくれるから、そう思えたら納得して前に進むこともできると今思った(笑)
普通に日々を過ごしていると、私は「出来てない事」で頭が一杯になってしまって、頑張ってきた自分を置き去りにしてしまう。
それは、やりたい理想があるのに、出来てない現実ばかりに目がいってしまうからで。(そして折角やったことも見えなくなり。)
結果落ち込んで「もういやらぁぁあああ〜」になるのは自分のネガティブな部分がそのまま現れている証拠だ。
(だから、今ばかりは自分を褒める文章を意識して書いてる)
・・・
んーーー。
普段は愚痴とか言わない様になんとなくしてる私ですが、今回は珍しく愚痴を言わせてくださいっ!
っていうのも、ウチのマンションの住人って、最初っから思ってたけど9割むっちゃ無愛想っ(笑)
上の階に住んでるおばさんはいつもメデューサみたいな頭で怨念抱えて死んだ妖女みたいな顔で毎朝ポストに新聞取りにいく。
あと去年引っ越ししてきた隣人は、いっつも爆音で歌ってて地味に毎度音がズレてる。
ほとんど毎日そんな感じで割と慣れたけど、盆や年末年始は人が遊びにくるらしくて明け方まで無茶苦茶うるさい。しかもやっぱり音がズレてる。
さすがに年末の疲れてる時の明け方4時にそれをやられた時は私も頭にきて、こっちも仕返しに録画していた「NHKスペシャル|大アマゾン 最後の秘境」を爆音で壁にスピーカー密着させて放置してやった。ざまぁみろ。
(結果ウチの娘が寝れなくなっただけ笑)
あと人が困ってても素通りな人が多いし、当たり前の様に挨拶しても返事してくれない人も多い。特にいい歳こいたおっさん(笑)
この人達は今までどんな安楽な人生を歩んできたんだろうかと不思議になるが、人のことはどうだっていい。
とにかく、こんな残念な大人になる位なら辛くても悲しくても、笑って乗り越えようって頑張れる人生の方が私は好きだ!ってことが言いたかったんだ。
何もなく諦めただけの安楽な人生を選び続けていたら私は今頃どうなっていたのか。
そして5年後10年後は・・・ひえぇぇえぇ〜〜
って、考えると、きっとこんな日々も無駄じゃないんだと元気が出てくるではないか。
「台風被害に遭った方々が大変そうで自分も何かしてあげたい」って素敵な言葉を言いたい気持ちもない訳じゃない。
ウチだって1年前停電断水でマンションの階段登って水運んだ身だ。まじ辛いよあれ(;;)
ただこうやって、自分の面倒もろくに見れずうだうだもちゃもちゃのぐっちゃっぐちゃな女に停電の心配とかされても「いや・・それよりお前だよ」ってなるだけじゃないか。
人のこと心配するのは、自分の面倒ちゃんと見れる様になってからにせねばならぬ。
自分のことを大事にできない人の隣にいるのは辛い。だってそれは私に価値がないことと同じだから。
だからまずは自分を大事にしてあげるのだ。
それが、周りの人たちを幸せにできるための第一歩なんだもの。
娘にこないだサラッと「お母さん何年か前とは別人だよね。よかったねー」と言われた。
一瞬最大級の嫌味かと疑ったけど純粋な褒め言葉だったらしい(笑)
ずっと側にいる人間にそう思われるってよっぽど違うってことなのか。
自分では正直そこまでとは思ってなかったから余計に「えっ」てなった(笑)
そんなこともありつつで、辛いことはまんざら悪いことばかりじゃないんだと思った訳だ。
雨が降ったり止んだり慌ただしいけど、今日も夜の公園を走ってこよう。
んで帰ってきたら長風呂して、ゆで卵食べてホットミルク飲んで寝るのだ。
(だって好きなんだもん)
という独り言でした。
おしまい。